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多喜浜には、現在でも、塩田に関係する建物、文化財等が点在しております。
ご関心のある方は、一度訪ねてみてはどうでしょうか?
開催時期 随時(ただし、ボランティアの都合によります)
申込資格 10名以上の団体
費 用 無料
連 絡 先 多喜浜公民館 Tel (0897)45-0014
多喜浜塩田遺跡巡りの代表的な場所をご紹介します。
多喜浜公民館玄関前です。 多喜浜塩田のあった街並みを訪ねてみましょう。 |
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アツケシソウ・岡田家 北海道厚岸町に生息するアツケシソウは、多喜浜塩田から運び出した塩が由縁となり、この地に繁殖するようになりました。 多喜浜塩田が廃田となった以後、岡田氏と公民館青年学級によるご尽力のおかげで、現在も、その姿を残しています。 アツケシソウは、現在、新居浜市の天然記念物にも指定されています。 |
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明正寺 正式には、龍宝山観音院明正寺といい、約350年前、明正天皇の病気祈願を命じられたほどの由緒正しきお寺です。 こちらには、市の天然記念物であるミョウショウジサクラがあります。また、多喜浜塩田の開祖・深尾権太輔のお墓があります。 |
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深尾権太輔の墓・明正寺内 1703年、多喜浜塩田の開発を着手した深尾権太輔は、古浜の礎となる塩田が未完のまま、病により倒れました。 明正寺には、深尾の墓と頌徳碑「塩田永潤徳」が建てられています。 |
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天野喜四郎のお墓・久貢山山頂 天野喜四郎元明は、備後国吉和村(尾道市)で、塩業に従事していました。 |
(天野の墓) |
顕彰碑・久貢屋敷内 久貢屋敷には、天野喜四郎の功績をたたえた顕彰碑が、1970年、新居浜市文化協会により建てられています。 文字は、鷲尾勘解治(わしおかげじ)によるものです。 |
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ソテツ ソテツは、天野喜四郎元明が享保8年(1723年)にこの地に居を構え、塩田開発に当たったことを記念して植えられたものです。管理は、天野家により、代々行われ、現在も、根回り5,4m、高さ5mという大変見事な姿を保ちつけています。 |
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藤田分家 こちらには、多喜浜塩田中興の祖・藤田達芳翁の胸像が屋敷内にあります。 藤田達芳は東京専門学校(現在の早稲田大学)で政治学を学んだ後、東浜産塩株式会社を設立し、経営の合理化と近代化を図りました。 また、新居浜で初めての衆議院議員として、塩専売法の制定に尽力したほか、日清戦争の講和条約を結ぶ際に、伊藤博文首相に帯同し、李鴻章との交渉に臨んだということです。 |
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藤田本家・岡城館 藤田家は江戸時代より西条藩多喜浜塩田惣肝煎役を務める傍ら、屋敷内に道場を構え、近隣の青少年に武芸を指南していました。 岡城館剣道場では、現在でも、青少年に対する剣道指南が行われております。 屋敷内に構えられた迎賓館からは、北方に広がる多喜浜塩田が一望できたそうです。 |
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岡本家 天野喜四郎元明らとともに、多喜浜塩田開発に取り組んだ樽屋与一郎(岡本家)は、塩田築造以来、塩田地主・塩田経営者として、昭和34年(1959年)、国策による廃田を迎えるまで、製塩業に従事しました。 |
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湊神社 湊神社は、享保9年(1724年)、多喜浜塩田の守護神として、備後国吉和浜(現在の尾道市)の吉和浜湊大明神から天野喜四郎ら6人衆が勧請したもので、境内社としておかれた塩がま神社は、仙台から分け移したものです。 |
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多喜浜公民館に到着です。 多喜浜には、塩田にまつわる遺産が、点在しておりますので、郷土の産業遺産を知るためにも、一度、訪ねてみてはいかがでしょうか? 多喜浜公民館には、多喜浜塩田資料展示室がありますので、遺跡巡りにあわせて見学なさってください。 また、お隣の多喜浜小学校に建てられたミニ塩田施設「ソルティ多喜浜」・「塩の学習館」等を利用した塩づくり体験も行っておりますので、一度体験なさってください。 |