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愛媛県立新居浜商業高等学校の人権委員の二人から、平成30年8月に高知県で実施した「新居浜市内県立学校人権委員会現地研修会」(通称人権フィールドワーク)の報告がありました。
二人は、人権フィールドワークの日程や差別との闘いから学んだこと、そして、最後に力強く感想を述べました。
「今、私たちが、結婚差別がいけないことと分かるのは、人権について学習してきたからだと思います。
学んだことを、自分だけ理解して終わらせるのではなく、クラスの仲間や家族に伝えていくことも大切だと思いました。」
「私は、教科書を無償にする運動があったことさえ知りませんでした。一冊の教科書に込められた思いや苦労を忘れず、今後、周りの人に伝えていきたいと思います。」
会場の皆さんも若い高校生の熱い思いに、人権について考えるきっかけとなったことと思います。
新居浜市オリジナルの部落差別解消推進動画「差別のバトンはもういらない」の上映を行いました。
平成28年12月に「部落差別解消推進法」が施行されました。動画は、新居浜南高等学校、新居浜工業高等学校の生徒や先生の協力のもと、法律や差別の解消について、分かりやすく知ってもらえる内容です。
笑顔の素敵な伊藤真波(いとうまなみ)さん。その笑顔のままで、開口一番「私のこの姿、見えますか?腕が1本ありません。」
20歳の交通事故で右腕を失うまでは普通の女の子だったという。「街を歩けばじろじろ見られ、気持ち悪いと言われ、家に引きこもり、毎日泣く私は、健常者との間に壁を作った。しかし次第に以前のように「笑いたい」「幸せになりたい」と前を向く決心をし、強くなろうと思った。だから、今こうしてみんなの前に立っていられる。」とあいさつ。
「自分で起き上がって這い上がれる人間になりたい。嫌なこと、辛いことがあってももう言い訳しない」と心に決め、リハビリとして水泳を始め、22歳の春には、北京パラリンピックに出場し、100メートル平泳ぎで見事4位に入賞。4年後のロンドンでも8位に入賞しました。
「無理にきまっていると諦めず、前向きで生きることで必ず道は開ける」と確信し、夢を実現してきた伊藤さんは神戸市内の病院で働き、結婚をして、長女を出産しました。
また、どんな時もそばで支えてくれた母を喜ばせたいという思いで、母の好きなバイオリンを再開。特注の義手を付けて練習を重ね、各メディアでは「奇跡のバイオリニスト」と呼ばれるまでになりました。
最後に、「人は誰しも、人に言えない傷を抱えている。その傷があるから、人の優しさや温もりがわかる。それを、この腕から教えてもらった。不自由かもしれない毎日、当たり前かもしれない毎日、そんな毎日が暮らせるのは家族のおかげ、地域のおかげ、絶対忘れてはいけない。そんな思いで一生懸命生きています」と締めくくり、バイオリン専用の義手を装着して、バイオリンを演奏していただきました。
涙する参加者もいて、演奏が終わると拍手喝采の中、講演は終了しました。
開場内ロビーには、人権擁護委員さんの協力もいただき、人権啓発コーナーを設けました。
新居浜市内県立学校6校の生徒による「人権ポスター」を掲示しました。
今年も「人KENまもるくん」「人KENあゆみちゃん」が遊びに来てくれました。みんなを出迎えます。