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140年前嘉永年間(文久3年から慶応元年まで)住友別子銅山の元締、清水総右衛門が、現在の住友化学工場南、住友重機械新居浜製造所東部のあたり4.7ヘクタールの開墾新田を作った。これを総右衛門新開といった。後に約して総開となった。明治23年に別子銅山新居浜分店を移転し、この総開田畑に社員社宅を続々と施設しこれらの土地も合わせて総開と称するようになった。
現在は、判然とする地域もないが、地名だけ総開で通っている。総開の字は総右衛門の総の字を使っていたが、逓信省(現郵政省)が郵便局名を惣開としてから、現在の惣開と書くようになったと記されている。
(昭和11年惣開住友記念誌より)