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昭和2年(1927年)、住友別子鉱山(株)の最高責任者となった鷲尾勘解治は、鉱山なき後の新居浜のことを考え様々な都市計画を断行し、その一環として、本格的な陸上競技が可能なグラウンドを建造する。それらの一連の作業は、「作務」と呼ばれる住友職員の労働奉仕で成し遂げられた。
秋の運動会開催時には、数万人の人が集まり競技を楽しんだ。
現存する石段は27段。東西に約170メートルに及ぶ。
現在も、新居浜太鼓祭りのメインイベントのひとつである「山根公園統一かきくらべ」の会場としても、市民に親しまれでおり、毎年多くの人が訪れている。