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産業遺産の世界的権威、スミスさんが語る
とき 2003年10月1日
ところ 銅夢にいはま
「英国博物館協会のスチュワート・スミスさんです。
スミスさんは、イギリスの産業遺産の保存活用の中心的役割をずっと担ってこられた方です。
産業遺産としての世界遺産第一号になりましたアイアンブリッジ峡谷博物館に20年勤められまして、その博物館を世界有数の博物館に育て上げた方遺産保護国際会議の理事兼幹事を務められ、産業遺産を通じた世界遺産の第一人者といえるでしょう。
昨日から今日にかけて、ずっと新居浜の産業遺産のご視察もしていただきました。通訳は、スミスさんをお連れしていただいた世界の産業遺産に詳しい加藤康子さんです。」
私は国際産業考古学会の保存協会の国際委員会の事務局をしておりまして、ユネスコの世界遺産に何を推薦するか、ということのアドバイスをしています。
300数十年にもわたる近代産業遺産のまち・新居浜に来ることが出来、大変うれしく思っています。私にとり、今回が5回目の来日になります。北は北海道から、南は鹿児島まで、来ることが出来、やっと地域の特性がつかめるようになりました
私にとり別子銅山というのは、一度訪れてみたいところだということで、かねてからの夢でした。二日間別子の産業遺産をいろいろ拝見させて頂き、地元の市民の皆さん、それから産業遺産を研究されている皆さん、市役所の皆さん、特に地元のボランティアの皆さんにお目にかかることが出来、すばらしい時間を過ごすことが出来ました。
第四通洞前 別子銅山記念館
私がアイアンブリッジで行いましたのは、すべての当時あったものを一つの博物館に集めるのではなく、その場で保存する、そうして人々はその保存している所を訪ねて回る、というコンセプトをつくりました。これは、今では、いろいろなところで取り入れられていますが、当時としては画期的なコンセプトでした。新居浜でも同じようなコンセプトが取り入れられていますね。
鉱山業というのは本当にいろいろな問題、課題をもっています。自分たちの鉱物が世界中を回り、それと共に文化も回っています。別子銅山記念館にイギリスから帰ってきた1702年の銅製品とかるつぼがありましたね。
今回、別子銅山の一部を見せて頂き、日本の近代化に果たした役割、また近代化により、どのように変化をとげたのか。また、化学・重機械・電力・金融などの産業を起こし、まちを変えていった。地域を変えていった。これらのすばらしい産業遺産を繋ぎながら、リストしながら、それを世界遺産にもっていく、世界遺産の委員会に上げていくと世界遺産の委員会も温かく受け取ってくれるのではないでしょうか。
昨日からの市民団体・ボランティア・通訳の方々の素晴らしいご案内、おもてなし、さらには拍手に心からお礼を申し上げます。
実は、私は日本に度々来たことがありますので、ガイドブックは自宅に沢山あります。日本に来る前は、行く場所について、ガイドブックをかなり読み込んで来るのですが、赤平は地名すら出ていませんでした。新居浜はちゃんとガイドブックに載っていましたし、博物館も記載されていました。日本のツーリストのガイドブックは見るたびに面白くないですね。大体、書いてあるのは神社仏閣、銭湯とか、自分がよく理解出来ないもの、関心のないものが多いですね。産業遺産はほとんどどのガイドブックを見ても記載されていないですね。新居浜に来るにあたり、インターネットで新居浜のこと、別子銅山記念館のこともウェブサイトで見させていただきました。それを見て、大変楽しみにして来たので、まさにウェブサイトのとおりだな、と思いながら、ワクワクしながら見せてもらいました。インターネットの情報発信でも着実に進められているな、と感じています。
16年前に最初に日本に来た時は、本当にやりにくい国でしたね。どこを見ても英語の案内・看板がなくて欧米人にとって、困った国でした。でも今は、どこにでも英語の翻訳がありますし、うれしかったことは、新居浜でボランティアの皆さんが英語の素晴らしいガイドブックを作り、用意しておいてくれたことです。
「スミスさんはコーンウォールの自宅をカラミ煉瓦で作られているそうなんです。口屋跡公民館のカラミ煉瓦を見て「これは私のところのカラミと一緒だ。ただ、私の所のは一回り大きい」と言われるんですね。あれは、一個60kgなので、スミスさんの所のは、80~100kもあるんですね。」
近所にも沢山カラミ煉瓦の家がありますし、カラミ煉瓦だけで出来た教会もあります。もし、来られるのなら私の家においで下さい。四角いカラミだけでなく、円いカラミもあるんですよ。1810年に製錬所から出たものです。是非、イギリスに来られるのなら、私の家にお越し下さい。
「スミスさんには、東平まで登って頂き、この地域の産業遺産の壮大な分布を見ていただきましたが、スミスさん、このような新居浜とロケーション的に似ている場所は他にありますか。」
東平 索道基地・貯鉱庫跡
難しいが、しかしいい質問有り難うございます。似ている、ということではフランスとイタリアの国境地域、オーストリア、そうして北スウェーデンなどにありますね。地形的に似ていて、銅山、製錬所、搬出路・・・険しい山道といい、鉱山遺産を取り囲む環境がとてもよく似ているな、と思いました。
以前、小倉での国際会議に招かれ、質問を受けたのですが、インドの学者で鉱業にかかわって、山の上でのコミュニティの形成過程を研究している人でした。地形と搬出路、距離がどのように関係するのか、興味深いことですね。
新居浜の産業遺産は、山から海まで続く鉄道などの銅の搬出経路こそ面白く、ヘリコプターを活用する方法もありますね。
私がここに来て思いましたのは、「このまちは、本当に幸運なまちだ。」と。私がアイアンブリッジの渓谷に来た時は、インフラは何も無かった。コールブルックデールの谷には何も無かった。交通手段もなければ、道路すら無かった。ケイタリングも無ければ、通訳もいなかった。人もいなかった。インフラの無い廃墟の谷だった。ここは、遺産を守っている企業がある。きちっと情報も整備されている。パンフレットも日本語、英語ちゃんと出来ている。何といってもボランティアガイドなど人材が市民の間に育っている。インターネットで検索すれば、ちゃんと新居浜の情報が出てくる。
皆さんが次のステップに進むためにやらなければならないことは、そうした素晴らしい遺産や観光名所を点から線に結び、観光の様々なコースをパッケージにして、それを日本語、英語の案内文を作り、インターネットで発信することです。ヨーロッパだけでも200以上の鉱山博物館があります。その研究員が5人ずつでも、別子は有名ですから、ヘリテージツーリズムに来れば、集客が増えますね。これは、すぐに出来ることですね。ますますの幸運をお祈りしています。
(住友化学の歴史資料館)このようにケミカル工業の歴史をまとめて展示しているミュージアムは、世界的にも珍しく、大変貴重なものですね。
住友化学資料館(旧 住友銀行跡)
【登録有形文化財】
赤平の国際鉱山ヒストリー会議では、15000人の市民の内、5000人が(登録)参加していただけました。みんなで支援し、手作りで産業遺産を考えるフォーラムをしました。世界の産炭地の子供達のネットワークをつくり、ミュージカルも開催しました。そこで感じたのは、最高の産業遺産は市民だなあ、ということと、それを継承しようとする心だなあ、ということです。新居浜も市民の皆さんは負けていないな、といつも思います。
「加藤さんにズバリお聞きしますが、新居浜市は産業遺産のまちとして、日本全体に対してどのような使命をもっているのでしょうか。」
新居浜は、住友の遺産というだけでなく、住友は日本の経済、今の経済も含めて支えてきた大きな柱ですから、日本の近代化の顔が非常にクリアーに見える所です。
スミス先生と歩かせて頂いて、驚いたのは、今日、東平の方にも行きまして、さらにそこから2時間かけて、今は廃墟になっている鉱山のまちを見てみたかったのですが、非常に奥の深い産業遺産をもっているんですね。
単に歴史的に奥が深いだけでなく、日本が近代化に向けて歩んできた、その中で銅山稼業として住友が果たしてきた役割というものは、私たちの先祖がどのように歩んできたのか、歴史の教科書に書いていないことを含めて非常によく分かる。
私たちが生活学習の場として、私たちの子供達の時代も含めて、どうしてここまで歩んできたのか、振り返る事の出来る学習の場ではないのか。教育資源として最高のモノをもっているし、歴史の教科書よりも日本の歴史を語っている気がしました。
市民の皆さんが、いい形で保存しながら次の世代に伝えていくことが、新居浜の皆さんの使命ではないでしょうか。密かに思いました。