師走もおしせまり、どこの家でも「しめ飾り」が始まる頃となった。 泉川村外山でお百姓の吉っあんの家でも「しめ飾り」の準備で、忙しそうにしていた。 吉っあんは、毎年観音原の東の山へ門松や山草を採りに行っていた。 今年は2、3日前からの雪で、吉っあんも山へ行きそびれていたが、今日は道こそ雪が積もって歩きにくいが雪もあがっているので出かけることにした。 息子の秀は吉っあんに、「山にや雪があるきん、すべらんように気いつけるんぞな。」と、気づかっていうと、吉っあんは、「おう、おう、山も道もよう知っとるきん気づこうことはないわい。」と、返事をしながら、足ごしらえは特に念を入れてしっかりとし、腰に鎌をさし手拭でほっかむりをして、秀に、「うらあ、いてくるきん帰るまでに、しめ縄をしゃんとのうとくんぞよ。」と、言い残して、勝手知った道をいそいそと出かけて行った。 秀は、吉っあんにいわれたとおり、納屋からワラのきれいなのをより出してきて、しめ縄をないはじめた。 神さん棚・荒神さん・水神さん・お便所・おもて門・うら門・納屋・牛小屋・荷車用・…と、いろいろと大きいものや小さいもの、長いものや短いものなど一所懸命に、1つ1つていねいに全部のしめ縄ができあがった。 毎年、ちょうど全部のしめ縄がないあがるころに、吉っあんは、にこにことしながら、頃あいの門松や山草を背負って戻ってくるのであるが、今日はまだ戻ってはこない。 秀は心待ちに、吉っあんの戻ってくるのをまだか、まだかと待っていたが、その気配はない。家の者も、少し心配になってきて、「まさか、道に迷うこともあるまいに、ひょっとして雪にすべって・・・・いったいどうしょんぞいのう。」と、みんな吉っあんの出かけて行った雪の観音原の方ばかり見守っていた。 どれほど時間がたったのだろうか、東の方を見ると雪の道を吉っあんが2人づれでとぼとぼともどってくるのが見えた。つれの人は誰だろうと家に帰りつくのを待ってよくみると、いつも魚をあきないに来るお民さんに、手をひかれてつれてきてもらったのである。 お民さんは、「わたしや、あきないもしもうて、家に戻りよったら吉っあんが雪が積もって道のようになった線路を東へ歩いてくのを見かけたきん、『吉っあん、どこへいきよんぞな。』と声をかけたら、『うらあ、家へもどりよんよ。』と、返事をしいしいなおも東へ歩いて行くので、『そっちへ行ったらあんたの家とは反対の方ぞよ。』となんべんゆうても、『うんにや、こっちよ。』とゆうて、きかんきんつれてきてあげたんぞな。」と、あきれ顔で話すのであった。 家のものはお民さんに、「よう、つれてもどってくれたもんよ、おおきに、おおきに。」 と、お礼を述べ、吉っあんは何を聞いても夢うつつのようで、はっきりとした返事が帰ってこない。 そぱでこの様子を見ていた「よしばあさん」が大きな声を出して早口で、「こりゃあ、タヌキにばかされとる、秀よはよう納屋へ行って箕を取ってこい。」と、いって秀から箕を受け取ると「よしばあさん」は、吉っあんを戸口に立たせておいて、大きな声で、「おん、ばざら、だとばん、おん、ばざら、だとばん、おん、ばざら、だとばん。」 と、何やらまじないのようなことを唱えながら、吉っあんを箕で3べんあおいだ。 よしばあさんは、「これでよっしゃ。タヌキはもう逃げて行ってしもうた。」 と、吉っあんに話しかけた、吉っあんは夢からさめたように、目をばちばちとしばたかせながら、「うらあ、何をしよったんぞよ。」といいながら、いちぶしじゅうを話した。どうやら吉っあんは、雪でおおわれた鉄道の線路を道と思いこみ歩いていたことがわかった。 家のものは、吉っあんが元気をとり戻したことを喜びあい、お正月の準備で気ぜわしそうにしていた。 昔から観音原を通る人は、よくタヌキに化かされたということである。 (外山 大西秀夫 談) |