昔々、石鎚山の神さまが、近くの笹ヶ峰へ登った。この山は石鎚とちがってなだらかで、頂一帯はクマザサが生い茂る美しさに、しばらく滞在し、山の8合目に住居所をつくり、近くへ「日月」の2つの池を作りました。この池の水は清く澄み美味な水でした。 神さまは、「こんなにいい水を、里人たちにも味あわせたいものだ。」と考えられ、小石を拾い「この石の落ちた所へ、日月の池と同じ水が出るように。」と唱えながら力一杯投げると、新居浜浦の山の南側に落ちて池となり、次いで石を投げると、山の東側に落ちて池ができた。3度目は3メートルほどもある石を「もっともっと浜辺の方に大きな池ができるように。」といわれ投げると、底知れぬ深い池ができて、美しい水が湧きあがった。「あの水は、浜辺に近いから、辛味があるに違いない。しかし、真水ばかりよりも、御飯を炊くと、とてもおいしいだろう。」とたいへん御満足になった。 里の人たちはたいへん喜んで、最後の池を「葛淵」と名づけた。 ある年に、大日照がして、田畑の作物が枯れそうになり、雨ごいしても1粒のあめも降らず困りはてて、みなで相談の結果、「笹ヶ峰へ登って雨ごいをしよう。」と決まり、葛淵の水を「ヒョウタン」に汲み、山に登り日月の池に水をうつし、下山のときは日月の池の水を「ヒョウタン」に汲み、葛淵へ「日月の池の水を龍王さまのおみやげに持って帰りました。」といって、池に入れお祈りしますと、にわかに大雨となり、田畑の作物も草木も生き返った。それからは、大日照の年には、葛淵の水と日月の池の水を交換して、雨ごいをするようになったといわれている。 いつの頃からか、葛淵の水は一宮神社のご神水として、正月7日の朝に神前に供えられるようになった。 今も葛淵の岸には、川ヤナギが生い茂り、池の中にはサカナがたくさん遊泳している。 (伊予路の歴史と伝説・愛媛の伝説 合田正良 一宮神社宮司 矢野峯義 稿 |